(題材)演奏会⇒   平成16624日 朝日生命ホール(新宿西口)

演奏団体:新潮会(芸大卒業生)

 

 

 

今回のコンサートでの演奏では、十三絃の箏を中心に、十七絃の箏、三味線、尺八、胡弓、笙、横笛(能管)などの楽器が使われていました。これらの楽器について調べてみました。

 

まず、箏のことですが、今回は十三絃と十七絃の二種類を絃の数のみで違いをわけていますが、ひとくちに箏といっても昔の時代から現代まで様々な種類のあった楽器なのです。古代までさかのぼるとコトというものは絃楽器の総称で、今の箏以外の楽器もさしていたのです。その名残で平安文学でも「きんのこと」「さうのこと」「びはのこと」などといった記述がされているのです。私たちがよく目にする琴は箏という十三弦のもので中国から奈良時代につたえられたものです。それが一般化されているため、箏の曲を箏曲というのです。箏のなかには日本固有のものもあります。倭琴・大和琴・和琴などと呼ばれるものがそうです。現在でも雅楽で使用されている箏の先祖にもあたります。またキンという琴も中国伝来のものですが、箏とはちがうもので、七絃の琴で柱も爪も使用しないで演奏する琴です。その仲間で現在見られるのは一絃の琴、別名須磨琴と二絃の琴、別名八雲琴です。弾き方はキンの琴といっしょで非常にシンプルかつ素朴な楽器です。十七絃は大正時代に宮城道雄が考案し発表したもので、発表後音色が気に入らなかった宮城自身が手直しをして、現在では新曲には多く取り入れられ、古典でもアレンジとして加えられることもでてきました。また宮城は八十絃も発表。ピアノのような形にさえ見えるほど大きく、音階も広いのですが、音色がやはり気に入らずこちらは封印されそのまま戦争で焼けてしまいました。

 

次に三味線のことです。三味線は沖縄の楽器「三線」を前身としています。三線は三味線よりすこし小型でニシキヘビの皮がはってあって、三味線のバチとはちがい、水牛の角でつくられた先の細い筒型のバチを右手の人差し指にはめて弾くものです。その三線は沖縄、当時の琉球にもともとからあったわけではなく、西アジアで生まれた楽器がシルクロードをとおって東へ伝わり、中国の元時代に三弦(サンシエン)という蛇皮をはった楽器が存在するようになり、それが十五世紀に琉球に伝わりました。そして本土との琉球貿易でその楽器が入り、琵琶の影響を受けて改良され、三味線になったとされています。本土にニシキヘビがいなかったので、猫皮が使用されました。また三線の方ですが、沖縄にもそんなに大きいニシキヘビはいないので、インドシナから材料を仕入れてつくられました。三味線も低音用として、長唄の四世杵屋佐吉が大正九年にセロ三味線を発表しました。その後も杵屋は全長約百八十センチ、重量三十キロで、土佐犬の皮を使ってつくられたとても大きな「豪弦」という三味線を発表しました。ただ、あまりにも大きいため正座してでは演奏できないため、立った状態で演奏してみたりもしましたが、演奏が難しくもあり、あまり使われることはありませんでした。箏も三味線も広い音域がほしいと思い、そのため大きい楽器を考案し、実際につくり演奏もしてみましたが、大きくなると不便な点もでてきますし、なによりその弾きにくさから演奏できる人が限られるようになってしまい、一般的に広まることはなくある程度までの大きさの楽器しか残りませんでした。

 

次は尺八のことです。尺八の起源は中国唐時代の呂才という人物がつくったものとされています。壱越を最低音としていて、音階の主音とする管の長さが一尺八寸だったので尺八といわれるようになったとされています。その尺八が奈良時代に日本につたえられました。中世「一節切」という普通の尺八より短く細いものが登場します。これは、八橋検校の俗筝がでてくるまではよく筝や三味線と合奏したりもしましたが、十八世紀には現代の尺八のもとである「普化尺八」に圧倒され、すたれていってしまいました。半音を含む音階に対応できなかったことから一節切は遠ざけられてしまったのです。箏、三味線と尺八は合奏することも多くその形式を三曲合奏といいます。また筝との相性は良く、この二つの楽器の演奏者も仲が良くなりやすいらしく、コンサートでの夫婦での箏・尺八の合奏も多いようです。

 

次は胡弓です。胡弓には大正十一年頃に田辺尚雄が考案した低音胡弓「玲琴」や宮城道雄考案の「大胡弓」などと呼ばれる中音域用の胡弓などがあります。胡弓のはじまりはあまりはっきりとされていません。屏風に描かれていることから江戸時代初期には存在しているということがわかっています。近世邦楽最古の公刊楽譜「糸竹初心集」で書かれていることから琉球楽器起源説、「らへいか」の記述より南蛮楽器起源説の二つの説があります。また、三味線をヴィオラ・ダ・ガンバのように構えた絵があることから三味線を弓で弾いてみたことから胡弓が始まったという説も出てきました。

 

最後は笙と笛です。笙は主に雅楽で演奏されるのをみるのが一般的な楽器で、リードのついた十七本の竹管を丸く並べたものです。ただし、二本は音が出ないので、演奏に使うのは十五の音となります。その音の出ない二本の名前が「也」と「毛」でそれが変化して「野暮」となったといわれています。横笛(能管)は能のときなどに登場する楽器で、七孔の横笛で外見は雅楽の竜笛にも似ています。すべての音高がドレミのような十二律にあてはまらないのでメロディーにそって、ハーモニーを奏でるといった意味での合奏はできません。音に意外と迫力があり、神や霊を呼ぶような神秘的な響きが特徴です。

 

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 参考文献:「箏曲の歴史入門」千葉優子著 音楽之友社19991110日発行

     「おもしろ日本音楽史」釣谷真弓著 東京堂出版2001515日発行

     「おもしろ日本音楽の楽しみ方」釣谷真弓著 東京堂出版2002920日 

 

 

♩♪♫♬主観的説明♬♫♪♩

 

今回、私がこのコンサートを選んだ理由は、私の箏の先生である七代目山登松和先生(まだ若いですけどNHKなどにも出演する立派な家本先生です)の言葉です。先生が出演するコンサートについては紹介されるのですが、今回の新潮会のプログラムの中で先生が三味線で出る「伽藍」という曲を「変わった曲ですよ」と言いました。師が変わっているというのであれば、弟子である私のとっても変わっているというわけで、それならば、音楽学のレポートにもぴったりかなと思ったからです。六月二十四日だと木曜日で五限までみっちりあるので、六時半開演は間に合わないなとは思いましたが、伽藍は八時ごろの演奏になるとのことでしたし、先生が箏で出るプログラム三番の「須磨の嵐」には間に合うだろうと思いチケットを稽古場で即購入しました。遅刻前提でコンサートに行くのはどうかとも思うような気もしなくはないのですが、三曲のコンサートは実に長く(私たちの発表会もそうですが)、以外と平日なんかは最初から最後まで聴いている人が少ないので、途中の曲から聴こうと曲と曲の間に入場するのも珍しくないのでいいかと思って行きました。

 

当日は五限が早く終わればいいのにと思いましたが、残念なことにそうはいかず、ある意味予定の時間にまず新宿に到着しました。ただ心配だったのが新宿はこんがらがった感じのぬぐえない駅でかならず一回は迷子になりますが、ネットで調べた朝日生命ホールの行き方がけっこうわかりやすく無事たどりつけました。須磨の嵐はもう始まろうとしていたのでロビーの画面を前に演奏を聴いていました。

 

須磨の嵐の私なりの注目点は横笛(能管)が使われているところです。この曲は平家を主人公とした曲でつまり武士のイメージの曲です。演奏者も四人とも男の人で男性ならではの強い歌声を披露しつつ箏や三味線を奏でていました。笛はメロディーを吹いているわけではないのですが、高いけれども強い音で、風を切るような印象のする不思議な感じのする音色で曲をいっそうもりあげていました。笛は吹いている姿を絵や写真で見ると雅な貴族のイメージがあったのですが、聴いているとこういう武士のイメージの曲の方がぴったりだなと思いました。

 

その次は山田検校作曲の「四季の段」という古典の曲でした。こちらはさっきの須磨の嵐とは逆に女の人だけでの演奏でした。唄の人と箏、三味線の人がわかれていて私の最初の印象は“ずるい”です。「歌いながら弾くのがたいへんなのに〜、唄とわけたら、唄の部分の手がらくじゃあないですか」と思ってしまいました。私がこう思うのはなんといっても歌いながら演奏するのが苦手だからです。唄の部分は一応手だけの「合いの手」や「まくら」と比べるとスピードがゆっくりめで手は楽めにしてありますが、この唄は手のメロディーや音階、リズムが違うので両方やるのが大変で発表会で唄ありがまわってくると練習してもしても緊張しまくりです。といっても唄のある箏曲の方が多いのでしょうがないのですが。そういう理由で唄と手箏をわけるとなんかずるい気がするのですが、最近のコンサートではわけて弾く人が多いです。それもきまって女の人がわける傾向にあるのですがそれが何でかはよくわかりません。でも当たり前ですが、演奏はすばらしかったです。古風でおくゆかしい感じでした。こういう曲は女の人だけで演奏するのがむいているのかなと思いました。

 

休憩をはさんで伽藍の番になりました。伽藍では箏(十三弦・十七弦)、三味線、胡弓、尺八、鐘を使って演奏をしていました。鐘がごーん、と鳴ってお寺のような感じで箏も神秘的で聴きなれないメロディーを奏でていました。尺八もメロディーがいつもと違う感じだったからかもしれませんが、須磨の嵐の横笛のような神秘的で風を感じさせるひびきでした。どの旋律もサブタイトルの「鐘によせる幻想」にぴったりの不思議な感じの音がしましたが、胡弓の音色は本当に幻想的でした。実際に胡弓を前にして聴いたのは初めてだったので曲の中でずっと音を出した状態ではなかったのですが、すっかり聴き惚れました。あと、この曲で一番びっくりしたのが、木琴をたたくようにしてお箏を細い木(に見える)のバチで絃をたたいて音を出したことです。あんな演奏の仕方もあるのかと感心しつつ、立って弦を木琴風にたたいてたのに若干の違和感ももちましたが、不思議さは出ていたので、曲にはあっているのかなと思いました。この伽藍は中能島欣一作曲の曲で、箏をやっている人に関しては楽譜でお世話にならない人はいないんじゃないかなと思う人なのですが、こういう曲も手がけるのか、と思いました。たしかに先生が言っていたとおり変わった曲でした。

 

最後に聴いたのは「平調合奏曲」でした。尺八だけでなく笙も合奏に加わっていていつも雅楽とかでしか耳にしない音が聴こえ、新鮮でした。中能島欣一先生作曲の新曲らしい曲でしたが、この曲はいつもの箏の感じでした。個人的に好きな感じの曲でした。プログラムを見た時は笙も入っていますし、平調という言葉が入っていたので堅い感じの曲なのかなと思いましたが、さわやかな印象をうける曲でした。日本古来からの楽器を奏でながらも新しい感じのする曲は万人にうけいれられそうでいいなと思いました。

 

今回のコンサートではよく耳にする箏や三味線の曲だけでなく、ちょっと変わったアレンジが入っていたり、あまり生で耳にしないような楽器も含まれていたので聴いていて本当に楽しかったですし、授業で勉強した楽器がはいっていたのが何だか親近感がわくというか、そんな感じでした。私もこれから箏で山田流山登松和先生指導のもと名取をめざしつつ、箏曲研究会で生田流の技法も学んだりいろんなジャンルの曲を演奏したりしたいと思います。こういう芸大卒の人などの演奏はやはりすばらしいのでいい刺激になります。今回もそうですが邦楽のコンサートに聴きに来る若い人は少ないです。私もすばらしい演奏ができるようになって和楽器の音色のすばらしさをたくさんの人に知ってもらえたらいいなと思いました。

 

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